昨日(4月23日)夕刻、高橋総合法律事務所(大阪市北区西天満)において開催された金融判例研究会に出席。最近の高裁判決(東京高裁平成21年9月9日判決・金融法務事情1879号28頁)を素材にして標題の議論に参加した。
事案は、融資先から取立委任を受けて取り立てた取立金5億6千万円を銀行が融資の返済に充当したので、これに対して民事再生手続き中の融資先会社が取立金の返還を請求したものである。第一審の東京地裁平成21年1月20日判決(金融法務事情1861号26頁)、前記高裁判決ともに、融資先会社の請求を認め、銀行が行った取立金による融資の返済の充当を認めなかった。
本件は、第一審判決が出た頃から、金融機関法務の担当者の中で話題になっており、賛否両論がある中で、どちらかと言えば金融機関サイドから出ている本判決の反対論がよく耳にされるた。もちろん、今回の研究会報告を担当された現役金融機関法務担当氏もこの立場である。理由は、融資先から銀行に譲渡された取立委任手形について、商法の規定に基づき一種の担保権である商事留置権が成立する、そしてその取立金についても銀行の商事留置権が及び、民事再生手続開始後も、留置的効力によって取立金の返還と引き換えに融資の返済を受けることができるというのである。破産手続においては、破産法66条1項の規定に基づき、商事留置権は特別の先取特権とみなされ、銀行は手形の取立金を返済に充当しても破産管財人に対する不法行為を構成しないというのが判例(最高裁第三小法廷平成10年7月14日判決・民集52巻5号1261頁)があり、民事再生手続においても、これと同じ取扱いをすべきというものである。
しかし、前記高裁判決は、取立委任手形に対する商事留置権の成立は認めるものの、民事再生手続において商事留置権に優先弁済権が付与されていないので、民事再生手続開始後に取り立てた手形の取立金を返済に充当することはできないとする。
私は、高裁判決と同様、民事再生手続においては、破産手続きと異なり、商事留置権に優先弁済権はないとする、いわば民事再生法等の条文に忠実な主張を行い、私よりも銀行法務に詳しい出席者諸氏の反発を買うとともに、研究会の議論を大いに盛り上げることができた。ただ、正直なところ幾分かの疑問もある。最高裁の判断もそう遠くはないと思われるので、改めて検討することとしたい。
今朝の日経朝刊の標題見出しが興味をひいた。東京都東久留米市の落合川の埋め立て工事の差止請求訴訟が、絶滅危惧種のホトケドジョウ等を原告として提起され、東京地裁が訴えを退けたというのである。おそらく、ドジョウには原告適格はないとして訴えが却下されたのではないかと思われる。
同種の裁判は時折ある。私の知る限り、平成7年、アマミノクロウサギがゴルフ場開発を阻止するため鹿児島県知事の森林開発許可の取消しを求めた事件、また、茨城県のオオヒシクイが茨城県に代位し、県知事はオオヒシクイ個体群の越冬地全域を鳥獣保護区に指定しなかったことにより茨城県の威信を著しく損なわせ、重要な自然環境の要素にして重要な文化的財産を損傷させたとして、不法行為による損害賠償を求めた事件がある。いずれも裁判所の判断は、東京地裁と同様、却下決定である。
後者の東京高裁平成8年4月29日決定(判例タイムズ957号94頁)は、「およそ訴訟の当事者となり得る者は、法律上、権利義務の主体となり得る者でなければならず、このことは民法、民事訴訟法等の規定に照らして明らかなところというべきであり、したがって人に非らざる自然物を当事者能力を有する者と解することは到底できない。住民訴訟の当事者となり得る者についてもこれと異なる解釈をする余地は全くない。当事者能力の概念は、時代や国により相違があるのは当然であるが、わが国の現行法のもとにおいては、右のように解せざるを得ない。」と言う。
東京地裁の決定を読むことができなかったで推測の域を出ないが、おそらく同様の理由付けではなかろうか。現行法の下では不可能という結論は、多くの法律家が支持するところと思われる。「人」と「物」にしか存在を認めない民法の世界では、ドジョウ・アマミノクロウサギ・オオヒシクイ等は「物」である。「人」は権利義務の主体になれても、「物」はなれない。権利能力がないのである。権利能力がないと訴訟能力もない、というのが、ベーシックな法知識である。
しかし、「自然の権利」を認め、その一部であるドジョウ等が訴えを提起するという考え方がある。人間の自然環境の破壊に対して、自然を守るため、「自然」に権利主体としての資格を認める。裁判実務に受け入れられてはいないが、面白い考え方である。
今日は2010年度に入学式。あいにくの雨模様だが、法学部は106名の新入生を迎え入れる。彼・彼女たちが卒業する4年後、どんな世の中になっているか予測の限りではないが、京都学園大学法学部の4年間で、自らの未来を自らでしっかりと切り開いていく、そんな"大人"に成長してほしい。
ところで、私が主として勉強している金融取引法の世界では、「自己責任原則」というものがある。これは、一般投資家が公平・公正に取引できるような土俵を作っておいて、その土俵で自分の判断と責任で投資してもらう、その結果、価格変動によって損失が発生しても自分の責任というものである(河本一郎・大武泰南著『金融商品取引法読本』4頁(2008年、有斐閣))。業者に勧められるまま購入して損をしても、それは購入した者の責任というわけである。ただこの原則が適用されるためには、業者の側にも顧客保護のための厳しい規律が要求される。どこでバランスをとるか、金融商品取引法制の問題になるが、ここではこれは置く。
今入学された新入生の皆さんに対して強調しておきたいのは、大学4年間における、大学・教師と学生の関係、学びの成果等についても、同じことが言えるのではないかということである。どう学ぶか、学びの成果をどう生かすか、そこに自己責任原則が貫徹する。反面、私たちもこれを学生諸君に要求できるだけのものを提供するつもりである。
これらを通して、「稔り」大きい4年間になってほしい。