大人向けの知的生産本は多いが、大学生向けの書物してユニークな存在である。「知的勉強こそが人生を切り開くための『インテリジェンス』をうみだす」の第1章で始まる本書の存在は、大学生が勉強をしなくなったという現状を踏まえたものなのだろうか。勉強へのインセンティブに訴えるのは、長年、教師として大学生を見てこられた方だけにさすがといべきなのか。
当の大学生が本書をどれだけ読んでいるのかわからないが、『インテリジェンス』を磨くための知的技法として、「知る/調べる・聴く」「書く・発表する・討議する」ための具体的ノウハウがていねいに述べられており、参考になる。極めつけは、「魅力ある『ゼミ』を選ぶための見方と方法」であろう。
松野先生は、「魅力あるゼミ」とは、「知的作業に没頭できることこそが、ゼミの魅力であり醍醐味」であることからして、「思考力と人間力を磨くための場」と言う。そのために、自分で考え、分析し、判断するというプロセス。自分の考えを発表し、他人から感想や意見にコメントしてもらって、これをもとにさらに思考を繰り返す。そのためには、「指導教員がまず、『知性』を愛し、学問の真理探究を真摯に行ってきたか、ということが重要です」という。
ごもっとも。異論はない。次年度担当するゼミでは、「知的作業」のおもしろさをゼミ生が実感できるよう運営したいものである。
以上に関連し、ひとつ、付け加えておきたいことがある。
自然総研・清瀧一也理事長(池田銀行元頭取。私が池田銀行在職時代から学ばせていただいている師のひとりでもある。)の随想「といろの連想」に紹介されていた、安岡正篤先生の"活学"である。論語の「学びて時に之を習う」から読み取ることができる。
「時」は、「その時、その機を失わずに、あらゆる経験を活かして学ぶこと」。
「習」は、「羽と白。白は鳥の胴体。雛鳥が成長して巣離れする頃になると、ぼつぼつ親鳥の真似をして翔ぶようになる。つまり体験する。身体で勉強する活きた学問」。
時習あわせて「活学」のこと。
余分な注釈はするまい。
時折、紙の上に書かれた知識を、教師から教えてもらい、これひたすら記憶する、これを「学び」と勘違いしている学生を見かけるが、間違っている。生活人・職業人としての日々の営みをどうやっていくか、これに関わる「法」をどうとらえればよいのか。どう活かせばよいのか。これらを考えていく、こんな学びが望ましい。これを演出していくことが私の教師としての目標である。





