2011年2月アーカイブ

 本日(2月28日)付け日本経済新聞朝刊「法務インサイド」欄にこの問題が取り上げられた。
 内容は、2月17日の福岡地裁の判決(公刊物未登載)で、事業継続にあたって必要な負債は新設会社に移されたが、それ以外の債務は抜け殻状態の分割会社に残されたのに対して、新設会社の法人格を否認して、分割会社の債権者に6億4000万円の支払を命じられた旨が紹介されている。そして、濫用的な会社分割が会社法では容易に認められてしまうという法の不備が指摘され、法制審の会社法部会に改正提案が出されている旨が報告されている。
 濫用的会社分割に対する分割会社債権者の対応として、詐害行為取消権(民法424 条)の行使、商号等が続用された場合に会社法22条1項の類推適用、取締役等の責任追及(会社法429 条1 項)、法人格否認の法理等が使われる。2月17日の福岡地裁判決は、法人格否認の法理を用いて、会社分割による新設会社は、分割会社と同様の法的責任が課されると考えたものと推測される(公表されている先例として、福岡地判平成22・1・14金融法務事情1910号88頁がある)。
 法制審議会会社法制部会では、平成22年12月22日開催の第8回会議で検討が行われ、議事録等も公表されている。また、研究者の論考も、最近増えてきた。
 この問題については、1月27日2月2日に続く、3回目のエントリーであるが、ますますこの問題から目が離せなくなりそうである。

 勤務先大学の学生・授業評価アンケートに「先生の説明はわかりやすいですか」という項目がある。わかりやすく説明することに心がけはしているが、難しい課題である。得てして法律自体にわかりやすさを求めるのは、無い物ねだりに等しい、などと愚痴も言いたくなる。
 ところが、最近読んだ、伊藤亜紀弁護士の『電子マネー革命 キャッシュレス社会の現実と希望』(2010年11月、講談社現代新書)では、2010年4月に施行された「資金決済法」が、すこぶるわかりやすくの解説されている。「資金決済法」には、主として、電子マネーの利用者を保護するルール、銀行以外の事業者による送金業務に関するルールが定められている。電子マネーや電子マネーを使った新たなビジネスの登場とともに、これらの制度インフラとして、これからますます注目されるルールになってこよう。
 私も、「資金決済法」に関連したトピックスについて、法学部HP上のコラム「ビジネス法学におこしやすpart2」第1回で簡単な解説を行ったが、「資金決済法」そのものは、それほどわかりやすい法律ではない。
 なぜか。
 一般に、新たな制度インフラはある種の妥協の産物であるが、これが制度の理解を難しくする原因のように思われる。資金決済法の関係では、コンビニの収納代行は為替取引ではないという理由で、また、電子マネーに類似する企業ポイントはオマケであるという理由で、資金決済法が適用されず、資金決済法による消費者保護のシステムのらちがいというのは、わかりにくさを加速させているように思われる。

 伊藤弁護士の『電子マネー革命』では、気弱でメタボのサラリーマン鈴木太郎、何よりもポイント集めに熱心な妻のよし子、いまふうの女子高生である娘の花子の3人を登場させ、電子マネー、企業ポイントなどめぐる事件に巻き込まれる姿を描き、これを背景にして、「資金決済法」の内容や、「資金決済法」を使った新たなビジネスの展開(ポイント交換サービスなどを発展させた電子マネー送金など)などの解説が続く。
 鈴木一家の物語は、ホームドラマを見るようで、楽しめる。それに続く解説は、資金決済法成立の過程でとられた政策判断とその問題点の解消、今後の変化の方向性も示唆しながら、未来志向でやっておられる点、やはり好感が持てる。
 話題の展開に興味を持たせようとする著者のサービス精神が、難しい内容ではあるが、その説明をわかりやすくしているように思う。

 学生たちを前にすると、どうしても、「勉強しなさい」「もっともっと勉強しなさい」と言ってしまう。素直な学生は、「はい。がんばります。」と応じる。意味のないやりとりである。
 今までそれほど勉強してこなかった。それでも十分幸せに生きてこれた。そんな人を相手に、自然と勉強しないとダメだ、こんな自覚が生まれるようにするには、通り一遍のモノの言い方では伝わらないだろう。
 勉強法の達人(自らを勉強法学者と称されている。)である柴田孝之氏の「試験勉強の技術」(2010年3月、ダイヤモンド社)を読むと、「第4部 勉強にくじけないために」に、重要な指摘がある。
 まず、勉強は何に役立つのか。いろんな知識を素材にして、筋道を立てて考える力や、正確で迅速な事務処理を訓練できるところにあり、およそ社会生活・日常生活を営むすべてに役立つ。そして、勉強を始めた人は、天命を待てるくらいまで人事を尽くさなければならない。人事を尽くせば、自ずから結果は表れる。それが悪い結果になることはない。挫折や飽きはつきものだが、結果を出さなければやったことがすべて無駄になる、と言う。
 誠に歯切れがいい。
 法学部の勉強は、これにプラス・アルファー。その学問としての性質上、人と人との関係。人と国・自治体との関係。人と企業との関係。それぞれのつながりを、いろんな角度から学んでいくので、社会生活をする上で、市民として正しいモノの見方・考え方を身につけるという点で役立つ。
 こういった動機付けを経て、あるいは理解を得てこその、「勉強しなさい」なのだろう。しかし、ここまでいけば、そんなことを言う必要はないかもしれない。そうあってほしいものである。

 2月22日の報道によれば、最高裁判所第三小法廷から、「相続させる」旨の遺言は、当該遺言により遺産を相続させるものとされた推定相続人が遺言者の死亡以前に死亡した場合には、遺言者が代襲者等に遺産を相続させる旨の意思を有していたとみるべき特段の事情のない限りその効力を生じない、という新判断が示された。判決文は、http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=6792を参照いただきたい。
 この論点は、我々の「取引先の相続と金融法務」においても、吉岡伸一先生が287頁で解説しており、遺言で指定された相続人が相続開始時にすでに死亡していたときは、その指定された相続人の相続人が被相続人の財産を相続すると考える東京高裁判決に対して、今回の最高裁のように考える判決も見られ、下級審判例は分かれているという指摘をしている。
 ことが相続人の範囲の確定にかかる問題だけに、実務でも悩ましいところであったが、この点について最高裁が一定の方向を示したことは、喜ばしいことである。判旨が、「遺言者が代襲者等に遺産を相続させる旨の意思を有していたとみるべき特段の事情のない限り」という限定をつけていることも、前記東京高裁判決のような場合が該当すると考えれば、無理がなさそうに思われる。
 重要判例として記録しておきたい。

 一昨日18日は東京出張、昨日19日は第2回合格者懇談会、本日20日は大学院入試と行事が立て込み、書きたいことは多々あるが、学部公式BLOGとして運用している関係上、法学部単独の行事として取り組んだ第2回合格者懇談会について、個人的な感想を報告したい(正式な報告は、法学部のホームページに掲載される)。
 第2回合格者懇談会のテーマは「大学4年間を展望してみよう」である。どのような方法で展望してもらうか。まず、合格者(入学予定者)に、「大学4年間を、どのようにすごそうと考えていますか。自分の考えていることを文章にしてみましょう」という課題を設定、作文をしてもらい、そして、これを材料に、教員・在学生も参加して話し合ってみる。一種のグループワークで、自分で考え、これを発表し、参加した在学生や先生にも聞いてもらい、自分の考えを大学生活4年間で実現するためにはどうしたらいいか、改めて確認する、あるいは考えてみる、いい機会になったと思う。
 ただ思うに、大昔のどかな時代に学生生活を送った我々世代には、入学前のこの時期に「大学4年間を展望してみよう」って、およそ考えられない課題である。我々の頃とは違って、就職活動も厳しい。そのような状況の中、今は、スタートからはっきりした目標を持って、大学生活を送ることが要求されているということなのであろう。
 「何になる? 子供の答えは 正社員」(第一生命・第24回サラリーマン川柳コンクール)が話題になっていたが、さすがにこれを言ったものはいない。公務員・中高の教師・警察官等々が聞かれた。しかし、「なぜ?」って聞いたとき、はっきりした答えが返ってこないのが、やはり何名かいる。
 私は、それでいいと思っている。大学生活でその答えを見つける、これができれば十分ではないか。いろいろ悩み、試行錯誤を繰り返していく中で、本物の職業意識・価値観ができあがっていくことも多いだろう。大学生活4年間は、そのために必要なものを提供してくれる場でもあると思う。
 こんなことを考えながら、私にとって9回目の4月の到来を待っている。期待したいものである。

 内田樹氏の『街場の大学論?ウチダ式教育再生』(2010年12月、角川文庫)の中に、「論文は自分のために書くものではない」という一節がある。「論文というのは『贈り物』である。私たちが先人から受け取った『贈り物』を次の世代にパスするものである」ということらしい。「パスするとき、『何か』を付け加えないといけない」こと。そのまま差し出すのは、「rudeなふるまい」という。何を付け加えるか、そこに筆者のオリジナリティが出てくるのであり、読み手の期待もそこにある。

 ここのところ、大学院生の修士論文、学部生の卒業論文につきあうことが多い。自分の勉強ぶりをアピールすることだけを目的に書いたものなのか。読み手の存在を無視するかのような論文に出会うと、内田先生の本に付箋を付け、そっと渡してやりたい気持ちになる。

 さて、私の論文は?
 今日、商事法務さんから、拙稿「所有権留保における留保所有権者の担保権者としての地位」が掲載されたNBL947号が、大学あて送られてきた。私が最も価値を置いている視点は、「実務」(主として、金融取引実務)である。世間の動き、法律・判例、または行政の対応等さまざまな変化に対応して、「実務」は、どう変えるべきか、従来のまま維持すべきか、何が問題になるのか、これらに関心を持つ。願わくば、「実務」をリードするような仕事ができれば、私としては満足である。このような視点からまとめる私の論文は、先行の研究に付け加えるべき自分のオリジナリティの意味は、世の中の学者の先生方とは異なる。
 こんなことを考えながら、拙稿を改めて読み直してみる。(上述の意味で、公にする価値があるものかどうか、この評価は、読者諸氏に委ねたい。)

 今後の研究計画として、いくつかのプランがある。その一つは、金融商品販売に際して問題となる「適合性原則」である。
 金融機関の職員が、顧客に対して金融商品を販売するからには、その顧客にふさわしい商品をセレクトするのは基本中の基本、実務では最も気を遣うところである。法定事項かどうかにかかわらない。販売にあたって、顧客にあった金融商品かどうか一所懸命考えない金融機関職員はいないだろう。しかし、適合性原則違反を認めた裁判例は少なくない。なぜ、こんなことになるのか。どこに落とし穴があるのか。金融機関職員が金融商品販売にあたって考えねばならないことを明らかにしていきたい。そして、この点が先行研究に付け加えるべき私のオリジナリティである。

 

 今月末に刊行予定の「ファイナンシャルコンプライアンス2011年4月号」(銀行研修社)において、「事例研究―高齢者預金取引とコンプライアンス」と題する特集の一部に、「高齢者預金の相続」として、次の7つの事例を解説させていただいた。窓口でお仕事をされておられる銀行員の皆様方は、このような場合は、どう対応をされるだろうか。答えを出すのは容易ではないと思う。

 ファイナンシャルコンプライアンス誌には、民法の考え方を基本にした実務の対応を私の答えとして提示させていただいた。確認のため、お読みいただければ幸いである。
 
(1) 甲支店に多額の預金をしているXが死亡した。法定相続人は妻Aと子のB・Cの3名である。このような場合において、相続人からXの預金の解約を求められたが、甲支店はどのような対応をすればよいか。なお、Xは遺言書を残していない。
(2) 甲支店に多額の預金をしているXが死亡した。法定相続人はA・Bの2名であるが、このうちAは多重債務者である。Aは、相続をして自分の財産を増やしても債権者に持っていかれるだけと考え、Bのために相続を放棄した。これを知ったAの債権者は、放棄の取り消しを求めて訴訟をした。このような場合、Bへの相続預金払戻しについて、甲支店はどのような対応をすればよいか。
(3) 甲支店の取引先Xが死亡した。Xは甲支店と預金取引をしていたが、その一方で借入金も甲支店のほか、他の金融機関からの分も含め多額であった。そこで、相続人A・B・Cは限定承認をすることを考えている。相続人が限定承認を行った場合、甲支店はどのような対応をすればよいか。
(4) 甲支店に多額の預金をしているXが死亡した。Xの法定相続人はA・B・C・Dの4人である。このうちの1人であるAが遺産分割協議に参加せず、甲支店に対して自己の法定相続分相当額について払戻請求をした。甲支店はどのような対応をすればよいか。
(5) 甲支店に多額の預金を有しているXが死亡した。そこで、相続人の1人であるAから甲支店に、葬儀費用として相続預金の一部の払戻し依頼を受けた。相続人は、Aほか5名であるということであったので、甲支店は相続人全員の同意書の提出を求めたところ、海外に居住して容易に連絡がつかない者もおり、甲支店の申出に応じるのは不可能という。甲支店はどのような対応をすればよいか。
(6) 甲支店の預金取引先Xが死亡し、遺言執行者に選任された弁護士Aから、X名義の預金の払戻請求が行われた。甲支店はどのような対応をすればよいか。
(7) 甲支店と貸金庫取引を行っているXは、その取引の代理人としてA(Xの妻)を定め、甲支店に届出していた。Xの死亡後、死亡の届け出が甲支店になされる前に、AがXの代理人として貸金庫を開扉して、X名義の有価証券類を持ち出し売却してしまった。これに対して、他の相続人から、甲支店の責任を問うクレームが申し立てられた。

 

 「暴力団排除条項」は、以前のエントリーで取り上げたことがあるが、最近読んだ、猪狩俊郎「激突! 検察、暴力団、弁護士会......タブーの権力と対峙した弁護士の事件簿」(2010/9光文社)に、「暴力団排除条項」のルーツが紹介されていた。
 著者の猪狩弁護士は、民暴対策に実績のある弁護士として、私も何冊かの著書を拝読させていただいたが、昨年8月、自殺の報道に接して驚いたことがある。

 「暴力団排除条項」のルーツとは、「後藤組組長に対するウェスティンホテル宿泊お断り事件」がそれである(157頁以下)。ホテルの総支配人が「なんとかお引き取り願いませんか。」と切り出したのに対して、くだんの組長、宿泊約款をぱっと開いて総支配人に示し、「暴力団員は宿泊禁止ってどこに書いてあるんだ。」と反論され、答えに窮してしまったという。総支配人の大変な努力で退去させることができたというものの、このような対応は誰にも求めることができない。このような事態に対して、現場対応のツールとして少しでも役立つことをねらい、当時第一東京弁護士会民事介入暴力対策委員会副委員長である猪狩弁護士によって、契約書・取引約款に暴力団排除条項を導入することが発案されたという。

 本条項の規定内容は、以前のエントリーで紹介したとおりである。今や、取引社会ですっかり定着したものになっており、その有効性についても疑問の余地はない。これが反社会的勢力との関係を絶つためのツールとして、現場対応の中から生まれ、定着していったものであることは、本規定を考えるにあたって重要と思われる。

 猪狩弁護士がどのような経緯で自死を選ばれたか知るよしもないが、本書を通してその生き方はある種の感動を覚える。私も、同世代を生きた1人として、心よりご冥福をお祈りしたい。

 「所有権留保」と呼ばれる担保手段は、割賦販売取引においてよく用いられている形態である。割賦販売で販売した商品の所有権を、代金完済まで売主またはクレジット業者が留保しておくもので、ほとんど手間がかからない。取引社会のニーズが生み出した、民法典に規定されていない、「非典型担保」の一種である。
 この所有権留保の担保権者(「留保所有権者」と呼ばれる。)としての地位について論じた拙稿をNBL2011年2月15日号(947号)に公表させていただく予定である。非典型担保に関する私の研究としては、「集合動産譲渡担保権設定者の担保目的物処分とその効力?最一小判平成18・7・20が明らかにした法理と実務の対応」NBL867号(2007年)に続くものである。
 本稿は、所有権留保の目的物である自動車が駐車場に放置されていた事件に関して、その自動車の留保所有権者であるクレジット業者に、放置自動車の撤去義務と不法行為責任を認めた最三判平成21・3・10民集63巻3号385頁(本判決の研究としては、京都学園法学2010年第2号119頁以下参照)に基づき、第三者(本件では駐車場のオーナー)に対する留保所有権者の担保権者としての義務・責任について考察し、これを前提に実務上の留意事項を検討したものである。
 所有権留保の目的となっている自動車が駐車場に放置されていたような場合、留保所有権者は、その自動車の撤去義務は買主にあると考え、自身は関係ない考えていたはずである。しかし、最高裁判所は、この理屈は留保所有権者と買主との間で成立するが、第三者との間でその成立を認める理由はない。第三者(駐車場のオーナー)は、留保所有権者であっても買主であっても、同じように放置自動車の撤去を求めることができる。これに応じて、誰が撤去するかは、留保所有権者・買主の間で決めてください、と考えたのであろう。従来あまり問題にならなかったが、至極当然のことである。
 このような問題意識を持ちつつまとめ上げたのが拙稿である。2011年の6番目の仕事になる。

 NBL掲載にあたって、同誌編集部に大変お世話になった。思わぬ誤りをご指摘いただいたり、3回にわたる筆者校正を出力いただいたりで、本当にありがたいことだと思っている。厚く感謝申し上げたい。


 

 本日2月9日と10日の2日間、合同企業説明会が開催されるP1000059.JPG。9日69社・10日71社、本学の就活支援行事としての取組みとしては、最大級の規模のものと思う。ここまでの仕事をしてこられたキャリアサポートセンターのスタッフの皆様のお仕事に敬意を表したい。
 参加学生のほとんどはリクルートスタイルの3回生。厳しいといわれている現状をよくわきまえ、例年以上に緊張感が見られた会場であった。何とか成果か上がってくれることを期待するばかりである。

(写真は私が撮影した。会場内のブースでは人気のあるコーナーとそれほどでもないところがある。私なら、人があまりいないところに行くのだが・・・・・・。)

 

 ところで、今週月曜日に発刊された週刊ダイヤモンド2月12日号に、「就活の虚実」と題する特集が掲載されていた。
 その中で、驚くほど社会常識に欠ける学生の存在、例えば、合同説明会のブースに来て、質問もしないばかりか、「何か自分に聞くことはないか」と尋ねてきた学生が紹介されている。信じられないところであるが、もしこれが事実ならば、「大学で何を教えているの?」という批判は免れがたい。
 逆に、企業の人事サイドとしては、「就活エリート」「就活マシーン」と呼ばれる学生の排除が一つの課題になっているという座談会記事も掲載されている。企業相手に就活をしようとする学生がわきまえておくべき常識、身につけておくべき資質はあろう。しかし、そのためだけに種々のノウハウを身につけ、薄っぺらな優等生になっても、それによって就活で企業に受け入れてもらいやすくなるというわけではなかろう。ここでも、「大学で何を教えているの?」が問われる。

 「大学で何を教えているの?」
 いろんなモノの言い方が可能だろう。
 ただ一つ私の実感として言えることは、ごく一部の例外を除いて、大学生は入学してから4年後の卒業までに、生きていくために必要な実に多くのことを学んでいる。これは紛れもない事実である。
 就活のスタートにあって、こんな自信を持つことも必要と思う。

 この時期の4回生のほとんどは、最後の学生生活を楽しむべく、卒業旅行等等の計画に余念がないようである。しかし、中には、卒業単位を取得すべく定期試験を受ける者も少数ながいる。就職が決定しているかどうかにかかわらずである。

 この厳しい時期に、第1志望の企業から内定をもらった。しかし、今回の定期試験に合格できたかどうか不安である。1?3回生の頃は、単位を落としてもそれほど深刻に考えなかったが、今回はそうはいかない。そのような学生から、科目担当の先生に、格段の配慮をお願いに上がりたいがどうか、という相談を受けることがある。

 私の学生時代より前、もうかなり昔、上等のウィスキーボトルを教授のもとに持参、真摯にお願いすれば、成績を手加減してくれたというようなことは聞いたことがあるが、本当かどうか知らない。相談を受ける身としては、無責任な情報を提供すべきではなかろう。自分自身が同じ大学教員の立場として、どう考えるか、このことを踏まえてアドバイスしなければならないだろう。

 私は次のように考える。

 大学のブランド価値を維持するために、一定の基準に達した者に対してのみ単位認定するということは大学教員の職業上のモラルである。大学教員は、一方では、大学のブランド価値を高めるため、あらゆる努力をしている。このことは十分理解しておいてほしい。これを前提に、どう行動するか、自分で考えなさい。
 建前論としては、間違っていないと思う。先生のところにお願いに行き、追い返されても、それはそれで学ぶべきことはあるだろう。

 ただ、私のところにこの種のお願いが来たとき、どうするだろうか。やはり真剣に悩むと思う。ここで半年・1年の卒業延期を求めるのは、どんな意味があるのだろうか。それも、就職先が決定している学生が卒業延期になれば、その学生の人生はどうなるのだろうか。そこまでは責任を持てないことも事実である。
 かといって、与えられた裁量権限を濫用するのも適切とは思えない。

 どうするかは、ここには書かないこととする。


 

市民と法第67号に「詐害的会社分割と分割会社債権者の対応」Scan1.JPGと題する拙稿が掲載された。それも特集2としての取り上げられ、この問題に関する第一人者・後藤孝典弁護士の論文と並べて掲載された。後藤先生の論調については、賛成しがたいところを感じているが、そのコメントについては、他日を期したい。
 併せて、昨日、大阪司法書士会の研修会で「詐害的会社分割と分割会社債権者の保護」と題する講演を行った。約200名の参加者のもと、日頃の教室の様相とは随分異なる環境ではあったが、私見も交え、話させていただいた。講演レジュメ 100201司法書士会・会社分割.pdfを貼り付けておくので、興味のある方はご覧いただきたい。

 

110212追記

講演レジュメについて、当日使用した図表を挿入したほか、若干の誤植訂正を行った。


 

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