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 就職率100%の大学が存在する。
 その大学、国際教養大学、学長の中嶋嶺雄先生が本書の著者である。どのようにすれば、そのような結果に至ることができるのか。
 次の、5点が指摘されている。
  (1)授業はすべて英語で行う。
  (2)1年間の海外留学を義務化
  (3)外国人留学生と一緒の寮生活
  (4)進級・卒業の厳しさ
  (5)少人数教育(1クラス15人程度)ときめ細かなサポート

 (4)では、授業科目ごとの成績を4点満点で評価し、平均値によって進級や卒業の可否を判断するGPA(Grade Point Average=累積成績評価平均点)が、4期連続で2.00を下回ると、休学・退学勧告の対象にする。実際に4年でストレートに卒業できる学生は50%前後という。
 なるほど、こうすれば、ある程度以上のレベルの学生は、勉強しないわけにはいかない。古典的ではあるが、正統派の手法である。しかし、あきらめて去って行こうとする学生に対して、何らの対応をする必要はないのだろうか。その兼ね合いが悩ましい。
 折しも今日は勤務校の卒業判定の教授会。2007年度入学者を中心に100名あまりの卒業者を決定した。

 また、(5)では、1クラス15人程度を基準とする授業は、教員と学生のコミュニケーションの機会を増やすのはもちろん、ディベートやディスカッション、プレゼンテーションへの参加を通じて、自分で考え、主張する能力を磨くという。
 こういうことを通して、当世はやりの「コミュニケーション能力」に限らず、いわゆる社会人基礎力といわれるもの備えることができればそれに越したことはない。一つの到達目標であろう。あわせて、自ら課題を見つけ、必要なことを自発的に学んでいくという、そういうくせが身につくようにしたいものである。
 
 国際教養大学のすばらしい実践に感動しつつ、自らの新年度の課題を考えてみた次第である。

 

 

 大人向けの知的生産本は多いが、大学生向けの書物してユニークな存在である。「知的勉強こそが人生を切り開くための『インテリジェンス』をうみだす」の第1章で始まる本書の存在は、大学生が勉強をしなくなったという現状を踏まえたものなのだろうか。勉強へのインセンティブに訴えるのは、長年、教師として大学生を見てこられた方だけにさすがといべきなのか。
 当の大学生が本書をどれだけ読んでいるのかわからないが、『インテリジェンス』を磨くための知的技法として、「知る/調べる・聴く」「書く・発表する・討議する」ための具体的ノウハウがていねいに述べられており、参考になる。極めつけは、「魅力ある『ゼミ』を選ぶための見方と方法」であろう。
 松野先生は、「魅力あるゼミ」とは、「知的作業に没頭できることこそが、ゼミの魅力であり醍醐味」であることからして、「思考力と人間力を磨くための場」と言う。そのために、自分で考え、分析し、判断するというプロセス。自分の考えを発表し、他人から感想や意見にコメントしてもらって、これをもとにさらに思考を繰り返す。そのためには、「指導教員がまず、『知性』を愛し、学問の真理探究を真摯に行ってきたか、ということが重要です」という。
 ごもっとも。異論はない。次年度担当するゼミでは、「知的作業」のおもしろさをゼミ生が実感できるよう運営したいものである。

 以上に関連し、ひとつ、付け加えておきたいことがある。
 自然総研・清瀧一也理事長(池田銀行元頭取。私が池田銀行在職時代から学ばせていただいている師のひとりでもある。)の随想「といろの連想」に紹介されていた、安岡正篤先生の"活学"である。論語の「学びて時に之を習う」から読み取ることができる。
 「時」は、「その時、その機を失わずに、あらゆる経験を活かして学ぶこと」。
 「習」は、「羽と白。白は鳥の胴体。雛鳥が成長して巣離れする頃になると、ぼつぼつ親鳥の真似をして翔ぶようになる。つまり体験する。身体で勉強する活きた学問」。
 時習あわせて「活学」のこと。

 余分な注釈はするまい。
 
 時折、紙の上に書かれた知識を、教師から教えてもらい、これひたすら記憶する、これを「学び」と勘違いしている学生を見かけるが、間違っている。生活人・職業人としての日々の営みをどうやっていくか、これに関わる「法」をどうとらえればよいのか。どう活かせばよいのか。これらを考えていく、こんな学びが望ましい。これを演出していくことが私の教師としての目標である。
 
 

 自分の専門領域で、何か一つでも二つでも情報発信をしたい、それもできるだけ良いものを。こんなことを思いながら読んだり書いたりしている毎日ですが、今年の年末年始の休暇には、3本の仕事がほぼ完了しました。「詐害的会社分割と分割会社債権者の対応」(市民と法67号掲載予定)、「所有権留保における留保所有権者の担保権者としての地位」(NBL掲載予定)、大阪司法書士会会員研修会レジュメ「詐害的会社分割と分割会社債権者の保護」(2月1日)です。
 文章を書くことは、いつになっても慣れるという域まで行きません。どう書けばよいか、パソコンの前で悪戦苦闘しているというのが正直なところですが、こんな折、上坂徹『書いて生きていくプロ文章論』(2010年12月、ミシマ社)に出会いました。「ベストセラーを続々手がける著者が明かす、生きた文章論。」いうのが、本書の帯の紹介文です。文章論の類はいくつもありますが、ライターという仕事で、この10年間に3億円を稼いだということですので、多くの方にとっては傾聴すべきメッセージであると思います。
 内容は、誰に何の目的で読んでもらうか、このポイントは絶対に外さないこととか、批評や批判をする場合は、対象があるからこそできるのだということを認識し、少なくとも対象に多少のリスペクトがあってしかるべきだとか、文章を書く心得のようなものがいくつも書かれています。文章を書くにあたっての人に対する気配り・心配りを改めて自覚させるものとなりました。
 さて、私の書いた文章はどうでしょうか。独り善がりになることなく一つ一つの仕事を大事に取り組んでいきたいと思います。
 2011年卒マイコミ大学生就職内定率調査によれば、大学、大学院生(全体)の7月の内々定率は54.5%、うち文系男子が55.1%、文系女子が48.6%である。「内々定先に満足したので終了する(終了している)」割合は70.8%である一方、「内々定先に不満ではないが、他の企業も見たいので続行する」割合は17.8%、前月比2.2pt減少したようである。個々の学生の活動と成果を見ている我々にとって、統計数字はほとんど意味をなさないことは以前このブログでも書いたが、やはり全体のパフォーマンスがよりよくなって欲しいという気持ちは強い。
 辻太一郎「就活革命」は、入学後、学生である期間のほとんどを就活に費やすという状況に批判を向ける。同感である。授業よりも就活が大事という風潮はどう考えても正常ではない。しかし、日本では、「あまり勉強しなくても卒業できる」「就職試験で企業は大学の成績を見ない」ことから、学生には勉強する理由がないという。負のスパイラルのスタートである。
 どうすればよいか。同書は、「企業が求めているのは、自分探しをした学生ではなく、仕事をするための能力をもった学生。その能力は大学で身につけることができる。」という(118頁以下)。そのために必要なのは「知的トレーニング」。
 大部分の大学生にとっては、ゼミや卒論などの取り組みが、そのための格好の機会であろう。そして、これをさらに充実させていくというのが我々の課題である。秋学期のスタートまで、約1か月、準備を怠りなくしたい。

 その答えは、人生の発展途上の段階で自己分析をすると、「サークル」「アルバイト」「明るい」「リーダーシップがある」という、変わり映えのしない話題や能力に突き当たるだけ。それでは内定は無理。
 それではどうするか。「自分にあった仕事選ぶ力」「『脱ネット』情報収集力」「オトナ度をアップする力」「メンタル面を強化する力」「『脱マニュアル』でES・面接に対応する力」。これら5つのプロセスを、「自分の頭で考える」「自分で答えを出していく」。これを繰り返していけば、一歩ずつ着実に、「企業に選ばれる自分」に近づいていける。

 以上が本書の大まかな要約である。
 類書は多いが、良書だと思う。ベストセラーになった大沢仁・石渡嶺司「就活のバカヤロー」(光文社新書)にも同様の記述がある。厳しい時期であればあるほど、テクニックに頼り、早く結果を出したいと思う。しかし、誰もがこれを追及すれば、このようなやり方はかえってマイナスである。企業から評価される本物の実力をつけることこそ、学生生活を通して追求すべきであろう。

 たまたま、今日目にした三田紀房「エンゼルバンク・ドラゴン桜外伝(12)」(2010年4月、モーニングKC)には、桜木先生が内定が出ない就活中の水野さんにこんなことを言っている。
 「お前。人に相談しているから、内定が出ないんだよ。......自分で考えずに、人に対策聞いてるばっかりの奴なんて企業はいらねえんだよ。」「そんな奴はただのロボットだ。働いている人には一目でわかる。ああ、こいつは教わった通りプログラム通りしか動かない奴だって......」「企業が欲しいのはロボットじゃない。人が欲しいんだよ。」

 簡単なことだが、改めて強調されるのはそれなりの理由があろう。昨日のエントリーでも少し触れたが、そうではない状況があるからである。心すべきことである。


 

 「内定取消」ではない。「内定辞退の強要」。重いテーマを取り扱っている。
 密室で何時間も面談して、とことん相手を追い込んでいき、内定辞退を迫る人事担当役員。なんとか結果を出すためには手段を選ばないというサラリーマンの論理が見え隠れする。私も数年前はこの世界の住人であったことを思うと恐ろしい。
 これに対して、間宮さんは、最後まであきらめなかった。と言えば、かっこいいが、やはりどうしようもない状態に陥ったようである。最後の最後で、企業に謝罪させ、2回目の就職活動を成功裏に終えたことは救いである。
 間宮さんは、本書で、現在の就活には、企業と学生のいたちごっこのようなところがあり、不合理のこともたくさんあると指摘する。4月から5月になって、内定がなかなか出ない学生は、私の回りにもいる。弱気になって、「どこでもいいから」と思う気持ちが、むしろ企業に利用されているように感じる。
 ところで、この問題を法律面から見るとどうなるだろうか。有名な最高裁判決(最高裁第二小法廷昭和54年7月20日判決)によれば、採用内定通知によって、「始期付解約権留保付の労働契約」が成立し、「内定取消」の適法性は、留保解約権の適法な行使かどうかを問題にして判断する。手元の労働法の体系書(荒木尚司『労働法』283頁以下(2009年7月、有斐閣))を見ても、特別の問題はない。安定した法理が形成されているようである。リーマンショック以降の急激な景気悪化に伴う企業業績の変動は、これが企業の存立を左右するものでない限り内定取消の理由にならないことは明かである。これを背景に、内定取消を行った企業名の公表制度も昨年からスタートしている。 
 こういった法律上・制度上の問題を避けるため、「内定辞退」を内定者に持ちかけることはある程度はやむ得ないとしても、これが「内定辞退の強要」ということになれば、当該企業にとってもコンプライアンスにかかる問題といった認識が正当であろう。一連の偽装表示事件で窮地に陥った企業と同様のリスクがある。

 最後に間宮さんからのメッセージを本書から。
 「景気は上向かず、就職活動は相変わらず厳しい。内定がなかなか出ず、終わりがないように感じるかも知れない。でも、信じていれば必ず結果が出せると、この本を読み終えたときに思っていただければ、こんなにうれしいことはない。」

 間宮さんのこれからの職業人生が稔り大きなものになることを祈りたい。
 

 「コンサルタント、弁護士、セールスマン、会計士、医師、フィナンシャルプランナー...... いつも大事な相談をされ、信頼されつづけるための7つの極意とは」というのが、帯に書かれた本書のおすすめメッセージである。
 7つの極意というのは、(1)無私と自立?献身的でありながら中立性を保つ、(2)共感力?隠れたサインに気づく、(3)ディープ・ジェネラリスト?広く深い知識を身につける、(4)統合力?大局的に思考する、(5)判断力?健全な意思決定を行う、(6)信念?自分の価値観を知り、強く信じる、(7)誠実さ?ゆるぎない信頼を築く、である。
 300ページを超える本書の中で、数々の著名人を例証しながら議論が展開されている。ノウハウ本として読めば、「とても私ごときは及びもつきません......」と言って逃げ出したくなるのが正直なところである。
 それでも、いくつかのヒントはある。

 自分の見解を示す際に、説得力を持たせることのできるスキルとして、次の3点の指摘である(231頁以下)。

 (1) 聞き手の気持ちを、言葉からも、言葉以外の手がかりからも読みながら、絶えずチェックしている。聴衆が居眠りしているか? それならちょっと話題を変えてみよう。ある特定の問題が、聴衆のエネルギーレベルを上げ、大きな興味をひいたか? それなら少し間をとって聴衆を深いレベルに誘導しよう。
 (2) 適切なコミュニケーションスキルがなければ、誰に対しても、何についても説得することなどできない、と指摘し、19世紀のオーストリアの政治家・メッテルニヒの言葉が引用する。「内容自体がよいなら、語るときは、明快で厳密に表現されなければならない。意味のはっきりしない言葉が浮かんだ瞬間、私はそれが間違ったものか口先だけのものに違いないとみなす」
 (3) 熱意や信念は目に見えるものであり、本物でなければならない。効果的な話し手であるために、普段よりも高いレベルで、エネルギーを発しなければならない。

 教師生活8年目。もうすぐ授業が始まる。わかりやすい授業への要望は高いが、うまくいっているのだろうか。新年度の目標の一つとして心がけておきたい。

 「紫を染め込もうとする人が、その前にある種の薬剤に羊毛を浸すように、精神も書物litteraeと自由学芸によってあらかじめ陶冶され、そして知恵を受け入れる手ほどきと準備をされることが望ましい。」(キケロ『ホルテンシウス』)という引用で本書は始まる。
 ここでは教養教育と専門教育が対比され、教養教育の重要性を指摘するという意図のようである。

 著名な経済学者である著者による「教育機関としての大学論」である。例によって、印象深い部分を記録に留め、若干の感想を記すこととする。

 「大学への進学者が増えるにつれ、学生の勉強の姿勢も多様になった。知識欲を失った、学問に関心の持てない学生に対して、いかに学生の好奇心を喚起するか、どうすれば授業内容を面白く感じさせるかということに、教師は多くのエネルギーを割かなければならなくなった。」「こうした状況は、若者の関心を喚起するといった教える側の『サービス精神』を必要とする。」「しかし他面、学生が苦痛と感じることを強制し、訓練するという要素が忘れ去られがちになることも問題だ。教育にはそういう訓練と強制という要素が必要だからだ。」(85-86頁)

 あちら立てればこちら立たずという関係であることは事実だが、要は学生に関心を持ってもらえない限りはスタート台に立つことすら困難。そうすると、後者の課題は忘れ去ってよいわけではないが、二の次、三の次にならざるを得ないという現実があろう。理想型としては、前者から後者にタイミングよく移行するフットワークの良さが決め手になるのだろうか。一度実践してみたい。

 「『先例のないケース』を的確な判断力で処理する力を得ることにこそ教育の意味があると考えれば、高橋是清は実に優れた教育者であったということができよう。そして、その高橋が『狭い専門性』のみに限定された教育が、いかに人間の危機対応力を弱めるかをはっきり語っている点が興味深い。」「よい大学、道徳と知性のバランスの取れた教養教育を行う大学に専門職大学院が付属しているというのが、高等教育の健全な姿なのだ......」(170-172頁)

 冒頭のキケロの箴言に相通じるところである。学部レベルの教育が専門教育の範疇に入るかどうかは別にして、全体のカリキュラムの中で、教養教育の目的のために配置された科目(本学では2類科目として整理されている)の意義は、専門教育を担当する教員もしっかりと踏まえておく必要があろう。

 

 ネット上での評判を受け、読んでみた。「著作権」という不思議な権利を、わかりやすく、また興味深く論じている。この世界で生きる専門弁護士の実力を見せつけられた思いである。
 以下、著者のいくつかのメッセージと私の感想を記録しておく。

(1) ディジタルネットワーク化による情報の拡散性の高まりが、許諾のない情報流通と個人によるコピーの増大になって現れ、著作権侵害の損害額が、権利侵害の「被害者」だけでなく、情報を流す「加害者」にとっても大きなリスクになる。(45頁)
(2) ネットでの作品の私的な流通や私的複製の問題について、「その利用は市場を侵食するのか? 補完するのか?」、「DRMが拡大することの功罪」等の視点がかかわってくる。(69頁)
(3) 著作権者の許可を得ないと作れないはずの「翻案」「複製」が、規模が小さいから、またおもしろいからいいということで黙認されているグレー領域がある。これが最近の社会の法化現象で確実に狭まっている。(102頁)
(4) 権利者の許可が必要な多次的創作やアーカイヴィングは、それとして大きな社会的意義を有しているのだが、これを行うにあたって、権利者を探し出してその許可を得ることが困難で、これによって支障が生じている。(122頁・139頁・158頁)
(5) 法律の基本的なルールを理解しつつ、自分の頭で作品を利用する必要性とリスクを判断し、とるべきリスクをとる。情報流通のあり方が大きく変わりつつある社会では、そうした姿勢はますます大切になる。(181頁)

 権利は尊きものとして保護一辺倒という考え方に立てば、(2)(4)の視点は見落としがちになる。制度構築においてはこの点のバランスが重要であろう。
 (1)(3)は、著作権だけの問題ではない。企業実務では、発生する可能性があるリスクを確実にコントロールしつつ、必要なリスクは積極的にとっていくという考え方が一般的であろう。そうすると、(5)が抽象的な言い方ではあるが、留意しなければならないことであり、おそらく著者の基本的立場もここにあるのではなかろうか。

 河本敏浩「名ばかり大学生?日本型教育制度の終焉」(2009年12月、光文社新書)、海老原嗣生「学歴の耐えられない軽さ?やばくないか、その大学、その会社、その常識」(2009年12月、朝日新聞出版)、諸星裕「消える大学 残る大学?全入時代の生き残り戦略」(2008年7月、集英社)。連休中に一気読みをした3冊である。
 河本氏は、社団法人全国学力研究会理事長、東新ハイスクール講師、学力の問題をトータルに論じることができる方。海老原氏は、「週間モーニング」に連載の転職エージェントを舞台にした漫画「エンゼルバンク」に登場するカリスマ転職代理人・海老沢のモデル。諸星氏は桜美林大学教授、大学経営論の専門家らしい。

 河本氏の現状認識は、
 少子化の中で大学の定員増という現象。入学者層の低レベル化を招き、大学生の学力低下を招いてしまうのは自明のこと。
 以上は、海老原・諸星の認識とも合致する。

 卒業後の進路を意識した海老原氏の処方箋は、
 ?学生レベルの向上。少なくとも即戦力社会人としての養成。そのため大学を「補習の府」とする。中学生並みの社会常識と、ビジネスで使う学問を集中教育すべし。
 ?中堅・中小企業群への新卒就職の道を作る。そのため、「入ってダメでも、日本は20代に2回転職できる」という常識を学生に啓蒙し、また、中小企業の求人を紹介するインフラを拡充する。
 ?日本型雇用内での再チャレンジを生かすための学生・社会人の啓蒙。それは「組織風土」基本にした会社選び。すなわち、「就職より就社」運動。

 全入時代の大学の生き残り戦略を説く諸星氏の基本認識は、
 日本人としての一定の歴史観や価値観を持ち、社会の構成員として、また家庭人としての倫理観を持ち、幸せな生活を追求すべく努力する人々。日本社会の平均的構成員、社会の基本的勤労者。そのような幸せの追求に必要な知識や技量を身につけさせることも大学の大きな役割。その技量の基本になるのは、俗にいう読み書きそろばん。

 一般論としてみれば、上記の引用部分の所説は正当だろう。
 京都学園大学法学部の基本方針、共通目標は、「ビジネス法学教育」。ビジネス社会で現実に起きているさまざまな問題を前にして、よりよい解決の方法を考え出す。そのために必要な力を、基本のところから身につけていく。この方向感は、おそらく、海老原氏・諸星氏の説くところとそれほど隔たりはないと思う。
 これらの営みによって、大学生活4年間の間に学生達はどれだけ成長できるだろうか。難しい問題である。経験的にしか評価できないが、彼らのうちほとんどは、「社会人」としては、確実に成長していると思う。

 

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