ブログと更新

 学生のときに使っていた辞書にblogの項は見当たらない。blockyの次はbloke。昔からあったとしても決しておかしくはない語であるが、Webblog「(航行)記録」とが結びついて生まれた新語らしい。他方、「更新」も通常はrenew O(→ 名詞renewal)などを使うが、blogが目的語の場合はupdate Oを使うようだ。確かに、ブログの更新は契約の更新とも記録の更新とも違う。

 長くブログの更新を怠ってきたが、その直接的な理由はここでは言えない。というか、公的な場では「言えない」というのがまさに更新を怠ってきた第1の理由である。ブログは日記のようなものであるから、一見したところでは私的表現の部類であるかのように見えるが、Webで不特定多数に公開している以上は公的表現であり、日記というよりは公的な日誌である。いちばん書きたいことであっても、公的表現として相応しくなければ書いてはならない。第2の理由は、業務上の文書作成によく行き詰ることである。そういう場合にこそブログを書いたりして気分転換を図るとよいのだが、私的な印象を与えるものを業務に優先させることにはどうしても躊躇いを覚えてしまう。もう1つは、まったく個人的な問題であるが、私の中から出てくる順番である。先に出るべきものが出口で閊えてしまうと、次の順番のものがそれを追い越してでも出てこようとはしない。

hateと「嫌な」

 最近の新聞紙上でCharlie Brownが出てくるコマ漫画の中に"How I hate him!"の台詞を見つけて思い出した。日本語と英語との違いを体感した一つの瞬間であった。教会での礼拝が終わって、会衆が御堂前の広場に出たとき、ご老体の一人が天を指差して言った。指の先では黒雲が広がり始めていた。"I don't like that cloud!" 日本で何度"I don't like ..."を練習してきても、この場面では出てこない。どうしても「嫌な雲だ」との思いを基に、英語で何と言うかを考えてしまう。

 ということで、受講生諸君。"I love ..."とか"I hate ..." とかを見ても、「私は...を愛している」とか「私は...を憎む」とかに置き換えたりせずに、たまには「ヤバい...、...がメッチャ好きや」とか「ムカつく...、...がチョーきらい」とかの思いにも結びつけてほしい。残念だが、古今の名文を読んでいるわけでもないので。

 最後に問題。では、"How I hate him!"は日本語のどういう思いに近いか。

日本人と勤勉

 どうしても引用しておきたい文がある。著者はカナダ人であるが、長年、日本の学校教育に携わった方である。その方が61歳で惜しまれながらこの世を去ったとき、偉業を讃えてと言うよりはむしろ敬愛の念抑えがたく発行された追悼記念誌からの引用である

 「私は日本人の勤勉さこそが大切な先祖からの遺産であることがわかってきました。それを大切にしましょう。捨ててはならない過去の遺産です。日本人全体に「エコノミック・アニマル」というあだながつけられているといいます。しかし私はうそだと思います。そんなことを真に受けた日には国民も個人も没落してしまうでしょう。日本人は働きすぎるという言葉にも耳をかす必要はありません。日本は天然資源が貧しいのです。輸出しなければならず、必要な原料は輸入しなければなりません。あとは国民の腕の力だけです。日本人の力量は今や世界的に有名です。」 

 「エコノミック・アニマル」という流行り言葉から分かるように、本文が書かれたのは一昔前、昭和54年とのことである。「日本は天然資源が貧しい」には異論があるものの、「そんなことを真に受けた日には国民も個人も没落してしまうでしょう」という警告には耳が痛い。

 

 学生のときの話。英語で、つまり、原書で小説等を読んでいたときもあった。何の作品においてであったかもう完全に忘れてしまったが、gooseberryなる語が現れて目が止まった。これは......「ぐすべり」だ。発音のことではない。子供のころ「ぐすべり」の実を摘んで食べた。野生の木の実だと思っていた。母の実家では何本も集めて栽培し、祖母は実でジャムを作った。誰も「すぐり」などとは呼ばなかった。

 gooseberryと「ぐすべり」とがつながった瞬間、仲間のもう1つの語もよみがえってきた―「かわらんつ」。辞書などで探し始めるまでもなく、すでに何度か見たことのある語につながる―currant―厳密には、red currant。明治生まれの祖父母たちがそう呼んでいたので、まさか英語だとは思いもしなかった。 

武士とwarrior

  The Last Samurai (2003) のおかげで、「武士」を英語でも "samurai"と言えばかなり通じるようになったと思われる。しかしもし、samuraiでは通じない場合にはどの英語を用いるべきか。英和辞典に依拠すると、通常、warriorとなるが、本当にこの語に置き換えてよいのだろうか。格式ばった表現では「武人」とか「勇士」とかの意味で使われるらしいが、「(未開部族の)戦士」という意味もあり、形容詞では「好戦的な」である。つづりのwar-から分かるように、原義は「戦争する人」である。

  Unknown Warriorと並べられるのは名誉なことだが、武士はそもそも無名ではない。清和源氏と桓武平氏に始まるには異論もあり、武官と武士とは違うとの反論もあろうが、名乗り上げる名がないのは武士ではない。いや、なかった。爵位の序列に違いは生じるが、まだknightのほうが近いのではないだろうか。新渡戸稲造もたしか "chivalry"と比肩させていたはず。いずれにしても、日本人が「武士」を "warrior"と訳すのは疑問である。

 

花屋の花と野の花

  「NO.1」と「Only one」とは本当に異なるのかは別途考えることとして、「世界に1つだけの花」の歌詞においてどうしても腑に落ちないのは、なぜ野の花ではなく、花屋の花を引き合いに出してくるのかである。確かに、野の花であれば、風雨にも負けず、虫にも食われず、病にもとことん耐え抜いたようなNo. 1でなければ、大方の人が愛でるような花にはならない。したがって、野の花を引き合いに出してくるわけにはいかない。では、花屋の花は、この歌の詩が唱えるような「Only one (the only one?)」なのか。

 花屋の花は、温室栽培でない場合ももちろんあるが、ほとんどは温室と似たような条件の場所で、風雨からも病虫害からも護られ、自らが特に動き出す必要もなく、十分な肥料や温度や光を与えられて育てられた花である。 そういう環境で育てられているのであるから、「争うこともしない」ように見えるのは当然かもしれない。しかも、何よりも商品となるように、色や形や大きさなどにあまり差が出ない、いわゆる規格品として栽培されている。温室のような場所で護り育てられた規格品が、「Only one」か。たとえ温室の中であっても、生きるのは大変だということは理解するが。

 

自然と文化

 「自然文化村」の案内広告を見た。決して目立つ広告ではなかったが、「『自然文化』っていったい何だ」と考えさせられた点ではimpactがあった。「自然」とは、「天然のままで人為の加わらないさま」。他方「文化」とは、特にcultureの訳語としては「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」。(いずれも『広辞苑』。)つまり、自然のあるところには文化はなく、文化のあるところには自然はない。

 とは言え、恐らくは「自然と文化が共存している(あるいは調和している)村」という意味であろうから、あまり難しく考えないほうがいいのかも知れない。そういう意味での「自然文化」の典型は、化成肥料や農薬を知らなかった時代の水田であろう。人間が自然に手を加えて形成してきたものでありながら、目的とした食料以外の野生の動植物をも育んだ。里山と呼ばれる森もそうであろう。自然物のように見えていて実はそうではなく、あれもまた本来は人間が自然に手を加えて形成してきたものである。

風景と借景

 英国庭園と日本庭園との違いの1つを説明するときに、「風景式」と「借景式」という用語を使うが、多くの学生が見事に日英を逆に覚えてくれる。庭のことなんかどうでもいい若い学生諸君には―ここで言いたいのは、拡張させていく形で自己主張を図るか、それとも他者に同調する形で自己確立を図るかといった問題であるのだが、それはさておき―「風景」でも「借景」でもどちらでもいいに決まっている。

 しかし、思い直してみれば訳語が拙い。landscapeだから「風景」と訳されているが、「風景」では目に見えるほぼ自然のままの景色といった意味で日本人は受け取ってしまう。landscapeを名詞で引くと分かりにくいが、動詞で引くならば「模様替えしたり、木や花などを植えたりして、土地の景観を改良する」という意味であるのが分かる。つまり、人間にとって美しく見えるように土地の景色を作り変えるというのがlandscapeである。だから、「風景式」ではなく「造景式」などと訳してほしかった。

grade(s)と級

 gradeには「等級」に当たる意味があるから、たとえば「2級」はthe second gradeまたはGrade 2と英訳してもよいであろう。問題は、the second grade / Grade 2と、the first grade / Grade 1とでは、どちらのほうが上のlevelか。つまり、どちらのほうが難易度が高いか。もちろん、2級と1級とでは1級のほうが上である。

  "I'm a first grader."と答えた小学生と、"I'm a second grader."と答えた小学生とではどうか。もちろん、2年生のほうが学年は上である。

悪文と語順

 悪文を書かないように指導する立場でありながらも、自らが(いくつも)悪文を書いていることに(後になって)気づく。少し前のブログに書いた「人間がweedsであると決めたものがweedsである」は悪文の典型だ。これでは「人間はweedsである」と読めてしまうばかりか、「もの」を「者」と読むならば意図とはまったく別の意味を伝える文ともなる。「weedsであると人間が決めたもの」の語順で書かなければいけなかった。しかし、語順が明確に決まっているわけではないので、文としてはこれでも成り立ってしまうし、意図した文意も通じないわけではない。

  英語を学ぶときの躓きの一つは、英語の語順に慣れていないことであるが、上に述べたような悪文を書いてしまう者から見れば、語順が明確に決まっているのはありがたい。「英語人」がわりと早く日本語を話せるようになるのは、間違いを恐れずに言う厚かましさも要因であろうが、日本語が語順に寛容であり、どういう順番で語句を並べて言っても、結局通じてしまうというのも要因として大きいであろう。

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